重慶市概要

 

ご紹介

重慶市(じゅうけいし/チョンチンし、簡体字: 重庆市、拼音: Chóngqìng、英語: Chongqing)は、中華人民共和国の直轄市である。国家中心都市の一つに指定されている。 重慶市の戸籍人口は3,371.84万人(by JETRO)。市の面積そのものが北海道並みに広く、市内に多くの県や農村部を抱えていることから、人口密度は350人/km2とかなり低い。2016年の都市圏人口は744万人であり、中国第10位、世界では第47位の都市部である。 略称の「渝」は重慶市内にある嘉陵江の古称、渝水からきている。もともとは四川省に属していたが、1997年3月14日、第8期全人代第5次会議において、直轄市に昇格した。2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第84位の都市と評価されており、中国本土では北京、上海、広州、深センに次ぐ第5位である。

名前の由来

重慶市 名前由来

紀元前 314 年に秦朝は 36 個の「郡」を設立し、重慶を行政の中心とする「巴郡」がその中の 一つ。北宋時代、「渝州」は「恭州」となり、漢、魏晋南北朝を経て、隋代の 581 年に「巴郡」が「渝州」と改名し、南宋時代の1189年、宋皇帝の子が恭州の王に封じ同じ年に帝位についたことから、慶事が重なったので「恭州」を「重慶府」と改名しました。以降「重慶」の呼称は現在に至るまで使われています。元末の農民反乱の領袖の一人である明玉珍はその建国した「大夏」の都を重慶に定めましたが、その後の明清時代には再び「重慶府」が設置されました。重慶は古来より水上交通の要衝として栄えてきました。約3000年前の周の時代、「巴国」の都が置かれましたが、その後「巴郡」として秦の管轄下となりました。南北朝時代、「巴郡」は「楚州」となり、隋に至って「楚州」は、嘉陵江の古称「渝水」にちなんで「渝州」となりました。この「渝」が重慶の略称として現在も使われています。 「重慶市」となったのは中華民国時代の1929年のことです。1937年から1946年までは、国民政府の「戦時首都」となり、当時の中国における政治、経済、文化の中心で、国民政府が南京に戻った後も直轄市とされました。1949年10月の新中国成立後も西南地域の要衝として中央直轄市となりますが、1954年には四川省に編入されました。その後、1997年に再び中国で4番目の中央直轄市となりました。

沿革

1929年 重慶市が成立 1937年 国民党政府が戦時首都として遷都 1949年 中華人民共和国成立、中央直轄市 1954年 四川省管下に編入 1983年 全国初の計画単列市(指定都市)に指定 1992年 長江沿岸開放都市に指定 1997年 全国で4番目の中央直轄市 2007年 成都市とともに全国都市農村調和的総合改革試験区として承認 2010年 市内に国家級重点経済開発区である「両江新区」が成立 2011年 成都重慶経済区区域計画が国務院から正式承認

 

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発展の勢い

重慶市は、四川盆地の東南部に位置し、長江と嘉陵江の合流点に当たるため昔より交通の要所である。かつて四川省に属していたが、1997年に北京市、上海市、天津市と並ぶ中国で4番目の直轄市に昇格した。その狙いは、内陸部の経済発展の促進、沿海地域と内陸部の格差の縮小。重慶市は省と同じレベルの行政区である直轄市になることにより、中央政府からの支援が強化されるようになった。その上、党と政府の組織において重慶市と中央との「距離」が大幅に縮まり、市のトップのポストにより力のある幹部が配置されるようになった。その結果、中央とのパイプが太くなり、重慶市の要求が中央の政策に反映されやすくなった。 重慶市は1960年代から70年代にかけて、「三線建設」(戦争に備えるための工業の内陸部移転)の拠点都市として一定の工業基盤が築かれたが、近年、国策となった西部大開発と沿海地域から内陸部への産業移転という千載一遇のチャンスをとらえ、急成長してきた。これを反映して、実質GDPをはじめ、重慶市の成長性を示す主要な経済指標の伸び率は、全国だけでなく、これまで中国経済をリードしてきた上海市をも大きく上回るようになってきた(表2、図1)。2010年の重慶市の実質GDP成長率は17.1%と、天津市に次いで全国第二位となった。輸出は前年比75.0%増、そのうち、外資企業による輸出は同106.5%、加工貿易は同107.0%と急増した。これは、外資による直接投資(実行ベース)が前年比58.0%伸びたことを反映している。外資にとどまらず、国内の他の地域からの投資も前年比79.7%伸びた。2011年に入ってからも重慶市経済の好調は続いており、上半期の実質GDP成長率は16.5%に達している。上半期の輸出は前年比78.7%増、そのうち、外資企業による輸出は同241.0%、加工貿易は同272.8%と急増している。外資による直接投資も、実行ベースで、前年比136.6%伸びている。 (注)「規模以上企業」は年間営業収入500万元以上の企業を指す (出所)中国国家統計局、重慶市統計局、上海市統計局より作成 (原文)関志雄 経済産業研究所 重慶市の高成長を支えているのは、工業の目覚ましい発展である。従来の自動車・オートバイ、設備製造、素材産業、天然ガス・石油化学工業に加え、電子情報産業が新たな成長エンジンになってきた(表3)。中でもノートパソコンの生産規模の拡大は目を見張るものがある。2009年にはノートパソコンの生産はなかったが、ヒューレット・パッカードや、フォックスコン(富士康)、インベンテック(英業達)、クアンタ・コンピュータ(広達電脳)、エイサー(宏碁)など、世界のトップブランドと受託生産会社の相次ぐ進出により、生産台数は、2010年には189万台、2011年上半期には729万台に達している。重慶市は、2015年までに年間生産台数が1億台、部品と原材料の現地調達率が80%という目標を打ち出している。これが実現されれば、重慶市は世界最大のノートパソコンの生産地となる。

工業製造業の現状

2015 年、重慶市の域内総生産(GRP)は 1 兆 5,719 億 7,200 万元(前年比 11.0%増)であり、鉄鋼製造業、セメント製造業、二輪車製造業、自動車製造業などが代表的な産業である。産業別で見ると、 第一次産業が 1,150 億 1,500 万元(対前年比 4.7%増)、第二次産業が 7,071 億 8,200 万元(同 11.3% 増)、第三次産業が 7,497 億 7,500 万元(同 11.5%増)であり、うち第三次産業の GRP 全体に占め る割合が 47.7%と最も高くなっている。

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物流&インフラ状況

もっとも、内陸部に位置する重慶市は、沿海地域と比べ、外資企業の輸出のための生産基地として、輸送コスト面において不利な立場にあるが、2011年の春に「新ユーラシア・ランド・ブリッジ」(中国とヨーロッパを結ぶ鉄道ネットワーク)の一部である「渝新欧(重慶-新疆-欧州)鉄道」が全面開通したことにより、この問題の解決に向けて、大きく進展している。 国務院の認可を経て、2010年6月に重慶市の「両江新区」が、上海市の浦東、天津市の濱海に続く中国で3番目、また内陸部では唯一の国家級の開発開放新区として誕生した。「両江新区」は重慶市街区の長江以北、嘉陵江以東に位置し、面積は1,200平方キロメートルに上る。そのうち、開発面積は550平方キロメートルを占め、残りの650平方キロメートルは緑地帯として現状を保つ。「両江新区」は「一つの玄関、二つのセンター、三つの基地」、つまり西部地域の対外開放の重要な玄関、長江上流地域の現代的な商業・物流センター、長江上流地域の金融センター、国家の重要な現代的製造業と国家ハイテク産業の基地、内陸部における国際貿易の中継と輸出製品の加工の基地、長江上流地域の科学技術革新と科学研究成果の産業化の基地になることを目標としている。「両江新区」の開発は、内陸部の対外開放のシンボルとして、第12次五ヵ年計画にも盛り込まれている。 さらに、2011年2月、重慶市の沿江は、安徽省の皖江、広西チワン族自治区の桂東に続く中国第三の「産業移転受入モデル地区」として、国家発展改革委員会から認可を受けた。現在の産業を基礎に、先進的な製造業、電子情報産業、新素材産業、バイオ産業、化学工業、軽工業、現代的サービス業など七大産業を選択的に受け入れる。

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渝・新・欧 ゆ・しん・おう(重慶-新疆-欧米 新鉄道)

Chongqing-Xinjiang-Europe railway 重慶から新疆ウィグル自治区、ロシアを経由してオランダのロッテルダムに抜ける貨物鉄道が開業したそうです。「新ユーラシア・ランド・ブリッジ」とも「渝新欧(重慶―新疆―欧州)鉄道」とも呼ばれる全長10,000kmの路線です。なお、「渝」とは、重慶市内にある嘉陵江の古称「渝水」に由来する文字。 これまで重慶から欧州に製品を運ぶには、重慶は長江の舟運が使える港湾都市でもあるので、船でいったん上海に出て上海から国際航路に乗せるルートが主で、これだとロッテルダムまで40日かかっていたそうです。これが新たに開業した「渝新欧鉄道」を使うと13〜14日でロッテルダムに到着するとのこと。大幅な短縮になります。 この新路線の開通による物流の効率化を前提としていたのでしょう。過去2〜3年のうちにHP、エイサー、フォックスコンなどが重慶に巨大な製造拠点を開設しました。

街の特徴や文化

四川盆地の東南、中国一の大河長江の上流部に位置する。市街地は、長江と嘉陵江に挟まれた半島状の丘陵地帯に広がっている。地形の関係で霧が発生しやすいことや、傾斜地に開けた街である ことから、別名「霧都」「山城」等と呼ばれる。東は湖北省と湖南省、南は貴州省、西は四川省、北 は四川省と陜西省と接する。

山の城

中国と言えば、自転車を連想される方が多いでしょうが、重慶には坂道がとても多いので、街なかで自転車を見かけることはほとんどありません。この町中に渡る起伏を利用し、昔から地元住民の暮らしに溶け込んできた証は「吊り脚楼」という、斜面に作られた木造の家です。現代でも斜面に建設されたビルでは、前から入ると一階、そのまま後ろから出ると三階というも珍しくありません。二次元の道路地図では表現しきれない場所が多々あります。古い住宅街では斜面に沿って家が建ち並んでいるところもあります。

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大河を跨る大橋の数々

重慶市は長江と嘉陵江を跨ぐ26の橋(2016年現在)と11のトンネルが張り巡られています。夜景の時に川に映る大橋のライトアップは特に名物です。

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霧の都市

重慶の気候は、南アジア特有の二つの季節に分かれた亜熱帯モンスーン湿潤気候に属しています。中国中でも日照時間が少なく、市内を貫通する長江(揚子江)と嘉陵江流域が長くが多く発生します。冬と春のの天気が有名で中国国内では重慶を「都」と呼ぶこともあります。霧の日は平均年間205日にも登る。

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炎天の都市

重慶の気候は、南アジア特有の二つの季節に分かれた亜熱帯モンスーン湿潤気候に属しています。 重慶は中国で最も暑くなる都市の一つで、8月の平均最高気温は35度近くになり、過去の最高気温では43度という記録があります。ただし夏には風があるため気温のわりに涼しく感じられます。

重慶市(1981〜2010年平均、極値1951〜2013年) の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C 18.8 24.5 34.0 36.4 38.9 39.8 40.9 43.0 41.9 35.1 29.2 21.5 43.0
平均最高気温 °C 10.3 12.9 17.7 23.0 27.2 29.4 33.0 33.2 28.3 21.7 17.1 11.5 22.1
日平均気温 °C 7.9 10.0 13.8 18.5 22.6 25.1 28.3 28.3 24.1 18.6 14.2 9.3 18.4
平均最低気温 °C 6.2 8.0 11.2 15.4 19.3 22.1 24.8 24.7 21.2 16.5 12.2 7.7 15.8
最低気温記録 °C −1.8 −0.8 1.2 2.8 10.8 15.5 19.2 17.8 14.3 6.9 0.7 −1.7 −1.8
平均降水日数 10.0 9.8 11.9 14.3 15.5 15.7 12.5 11.3 12.7 16.1 11.5 9.8 151.1
 % 湿度 84 80 77 77 77 81 76 74 79 85 84 85 79.9
平均月間日照時間 20.6 29.7 64.9 93.6 109.4 97.7 158.6 167.0 106.6 50.4 35.9 20.4 954.8
出典: 中国气象局 国家气象信息中心 2014-01-01

代表料理・火鍋

火鍋の起源は、磁器口の船乗りが牛・豚の内臓に塩・山椒を振りかけて完成した事により広まった「重慶火鍋」、「四川火鍋」などの名称で火鍋料理が知られるように、中国四川省を発祥としているとも言われる。鍋の由来も、中国の殷または周の頃に国王が鼎を作り、火で煮て食べたのが鍋の雛形であるとか、漢代の軍の食事用具であった「焦斗」を火鍋の始まりだとするものなどがある。 火鍋は唐代に普及し、元の時代の軍の食事や明代や清の時代には羊肉が具材に見られ、清朝の乾隆帝の時代には、火鍋は満漢全席で最高潮に達した。 現代の中華料理店や火鍋専門店で提供される火鍋は、金属製の丸鍋を使うものの他、中央を太極の「陰陽」に見立てて仕切った金属製の丸鍋の中に、白湯(パイタン)と呼ばれる白濁のスープ(鍋底(グオヂィ))と、唐辛子や山椒など調味料を沢山入れた辛い味付けの紅湯の麻辣(マーラー)スープの2種類を別々に入れて煮立て、好みの食材を好みのスープに入れて煮て食べる「鴛鴦火鍋」(ユアンヤンフオグオ。二色鍋)と呼ばれる形式も多く見受けられる。 火鍋は日本において「中国のしゃぶしゃぶ」と呼ばれることもあるが、むしろ北京の火鍋の一つ「シュワンヤンロウ(中国語:涮羊肉 ピンイン:shuàn yángròu)」(羊のしゃぶしゃぶ)が京都に伝来し、日本の「しゃぶしゃぶ」のルーツになったともいわれる[2]。また火鍋に用いられる食材は、日本のしゃぶしゃぶのように、すぐに火が通るものばかりではなく煮込むものもあるため、食べ方も同じとはいえない。 FIRE-PORTFIRE-PORTsFIRE-PORT spicy

モノレール

重慶市に日本人が設計した名所が誕生し、中国人に賞賛されている。地形上の 理由からビルの中を通過することになった、中国初となるモノレール。微博では、「日本 の技術にさらに敬服しちゃうよ。本当にすごい」という声も..多摩都市モノレールと同じ日本跨座式というタイプで、東京モノレールみたいに床に出っ張りがなく普通の鉄道車両と変わらない広い空間が特徴。

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